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高野山に行ってきました


最近めっきり携帯から書いているため、もし以前の記事にコメントくださってる方がいらしたら申し訳ありません;携帯から投稿はできるんだけどWEBは見れないため、サイトを見に行ってない状況が続いてます。(仕上がりを確認しないのはよくないんですけど、会社で見る訳にも…)正月休みにまとめてお返事させていただきますね!
仕事ばっかりしてるようですが、隙間見つけてあちこち彷徨ってはいます。

11月の頭の話になりますが、何年振りかな?蓮華定院に宿泊してじっくりたっぷり秋の高野山満喫してきました。
道連れがてるてる様と和泉様という、史料を沢山読み込まれてる方々でしたので、非常に熱く濃ゆく(笑)真田家臣団ラブな語らいの時間を過ごさせて頂きましたvv
祢津式部とか矢沢の叔父上とか割田下総とか、マイナー一直線なのに物凄い詳しいお話ばかりで勉強になりました!!そして全然情報収集してなくてスイマセン(苦笑)さぼり屋な私ですが、頑張って重箱の隅まで読み込まなくては!お二方、有難うございました!!
高野山の渋滞に耐えきれず裏道1時間で下ったりする乱暴な運転で宜しければ(苦笑)また九度山リベンジしましょうねー!!

画像は、九度山の慈尊院から高野山へ登る(登山道の)道筋上にある、丹生都比売神社の入口。
太鼓橋が美しい所でした。
寄った理由は信繁(幸村)が九度山時代に送った「腹を壊したので丹生都比売神社へ行けなくなりました。ごめん!」という書状が残ってるので。代わりに行ってみました(笑)まぁ場所柄、他の機会に訪れてるでしょうけど。
資料がいま見れないので非常に曖昧な記憶のみですが、九度山か橋本の商人?と一緒に行く約束してたと思います。真田文書集か、御事跡稿に載ってるので興味ある方は捜索してみてください。
この神社は夜間ライトアップもされてるみたいですので、いつか夜に訪れてみたいものです。
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勝頼の命日は11日

というわけでお墓参りにいってきました。
実は私、景徳院へは初めて行きました(切腹)
いやあ・・・塩山から東って、どうも行きにくくって・・・。
(そんな理由で岩殿も未踏の地)

いざ行ってみたら日陰に雪は凍ったまま残ってるわ
なぜかお供えはピンクのカーネーションだったり
顔はいかついのにやたら人懐こい犬とか、
個人的にはツボだらけでした。
うわー。毎年行きたくなりますねこれ!
お誘いいただいた方々に感謝デスv

そして、旧八田村の惣蔵のお墓参りにも初めて行けました!
しかしこんな所まで「土屋兄弟」って書かれると、父上が可哀相な気がしますね。
金丸氏の屋敷跡に建っているのが長盛院です。
これも今回初めて行ったのですが、表札見てビックリ!!!!

あ、秋山さん・・・なんですか??!!
御住職????!!!

台風につき

今日は昼までで帰してもらえました。ラッキー!!
まあ西向きの人(特にM課長)は帰れなくなりそうでしたしね。
すでに私の居住地の上空を台風は過ぎてますが、吹き返しの方が風キツイようです。西側の窓がガタガタやかましい・・・。

写真は、岩村城址で遭遇したニホンカモシカ(天然記念動物)です。
野生の天然記念動物には生まれて初めての遭遇。
デジカメが3倍ズームなもので画像粗いですけどね〜;

ええもん見せて貰ったわ〜と上機嫌でまくら塚に行ったら、お上人さんたら中学校の運動会へお出かけで、またご朱印は頂けませんでした。ガッカリ・・・。
さらに雨の岩村城址の写真、本丸はそれはもう美しく撮影できてるのに、中世からあるとかいう狸道での写真はブレブレでした。
秋山殿〜私のこと嫌いか〜〜〜(T_T)??!!

戦国パラダイス

今回はとにかく画像を見て頂きましょう。

読みづらい。
そんな方のために全文を書きます。

「茶臼山歴史について!
 慶長3年、1598年8月18日、豊臣秀吉は、63才で死去!
死の直前、徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、
宇喜多秀家の五大老、現在風でいえば、大物大臣である!
さらに、五奉行に石田光成、浅野長政、増田長盛、前田玄人、長束正家
をおいた、秀吉死去により、家臣石田光成、浅野長政軍は
関ヶ原で、徳川家康と最後の戦いとなった、秀吉の長男秀頼を母淀君
が庇って戦いに出さず、豊臣家の家臣が、次々と徳川家に付き、関ヶ原
で石田光成軍が敗北した!
 そのころ、真田幸村は和歌山九度山にいた、大阪城にかけつけた時、
大阪城は徳川の手におちる寸前であった!大阪城攻防で名高い茶臼山は
冬の陣では家康の本陣となり、夏の陣では幸村の激戦地となった!
幸村は信州の田舎の住人で、父にならって、優れた戦略家であった!
夏の陣は、冬の陣のわずか4ヶ月後のことで、幸村はただちに国分道明寺に
出陣した後、大阪城最後の決戦にのぞむ!主戦と成ったのは、茶臼山から
四天王寺西門あたりで幸村軍はすさまじい勢いで家康軍に殺到
したが、全員討ち死にし大阪城本丸炎上、秀頼、淀君討ち死に
豊臣家二代にわたる栄華は、夢と消えた!!」

端から端まで全文見事なパラダイスな内容。
これ、幸村の討ち死に場所として有名な安居神社の近くにある某ラブホテルの前に建っています。
発見者は東美輝さま。なぜ神奈川人がこれを天王寺で・・・(笑)
石に彫ってあるから、いちおう石碑なのかな。

とりあえず私が気になって仕方ないのは、
石碑に「!」を使用。
「現在風でいえば、大物大臣」
「石田光成、浅野長政、増田長盛、前田玄人」
光成はよく見るけど、玄人・・・。
「信州の田舎の住人」
「秀頼、淀君討ち死に」

でしょうか。
関ヶ原で宇喜田がさりげなく無視されてたり、
関ヶ原の直後大阪陣になったかのような錯覚を起こさせる
不自然な分の切り方は、
ここまでくるとどうでもよくなってきますね・・・。

面白いのでぜひどうぞ。
ちなみに石碑が前に建つ某ラブホテルの外壁には
花菱紋が散らされており、
入口にはばかでっかい葵紋があります。
プロフィール

大蛇丸

Author:大蛇丸
真田氏と武田家臣団が好きで、資料まとめと史跡巡りをしています

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