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伝説メモ

■『日本昔話通観12 長野・山梨』1988/同朋舎出版
信玄が善光寺を建てるとき、高畑村の柳の古木を棟木にしようとする。高畑村の隣 遠光寺村にいる孝行娘の下へ毎晩通ってくる男がある夜「これでお別れだ」と言い「自分は高畑の柳の精で、明日にも切られるのだが、何万人かかっても引く事はできない。お前が一声かければ動く」と告げて消える。柳の木が切られている所へ娘が行って音頭をとって手伝うと、木が易々と動いて善光寺まで行ったので、信玄は娘にほうびを与えた。善光寺の棟木の後には、その娘の絵が描いてある (続甲斐P277)

桜井重久という武田家の家来が主家滅亡後「貝沼重久」と称して住んでいた。重久が真菰が池に狩に行き、夫婦鴛鴦のうち雄鳥を射殺すと、2・3日後 門口で美しい女の声で「桜井の名もうらめしき貝沼の 真菰が池にのこるおもかげ」「日暮れなばいざと誘いし貝沼の真菰が池の鴛鴦のひとり寝」と細々と言う。越えは何日も続くが女の姿は見えない。一年後の同じ日、真菰が池で雌の鴛鴦を射殺してみると、雄鳥の首を羽の下に抱いている。重久は狩をやめて出家し、鴛鴦の供養をした。(伊那伝説P284、品の伝説P208)

■『日本昔話通観9 茨城・埼玉・千葉・東京・神奈川』1988/同朋舎出版
埼玉県比企郡吉身町(旧北吉見村一ツ木)
原虎胤の妻(別類型では原大隈守の後妻)は諏訪湖の竜神の化身だった。子ができると妻は宝珠を残して湖に帰り、夫は吉見へ移る。二代のうちはそばの大沼に向かって願うと膳椀などが水面に浮かんだので、そこを椀箱淵と言った。(川越郷土4 P204)
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真田氏と武田家臣団が好きで、資料まとめと史跡巡りをしています

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