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羽尾

明日からまた忙しくなりそなので、メモメモは早めにすることにしました。
しかし今年中にこのメモ帳終わらなかったな・・・(涙)

『姓氏家系大辞典』角川書店
羽尾

上野国吾妻郡の羽根尾邑より起こる。信州滋野姓海野氏の族にして、羽尾記に
「上州吾妻郡羽尾と云ふ山里に羽尾入道何某と云ふ侍あり。あまた男女の子を持てり。嫡子羽尾入道幸全、二男海野長門守幸光、三男海野能登守、四男海野郷左衛門、第五は女、是は大戸心楽斉の室なり。
海野能登守嫡子 うんの中務、第二女は赤見七郎左衛門の室也。第三女は大熊備前守嫡男、大熊五郎左衛門の室なり。
中務第一の娘は根津志摩の室なり。第三は原江左衛門、大坂にて五月五日討死す。」

また加沢記に
「吾妻三原の地頭、滋野の末葉の羽尾冶部少輔景幸と云ひし人あり。嫡子は羽尾治郎幸世入道、二男海野長門守幸光、三男同能登守輝幸と申しけり。道雲入道は生害あって、舎弟二人は越後の斎藤越前守に属しける。斎藤没後の節、甲府へ忠節あって三原郷を御取立あって、天正三年夏の頃岩櫃城を預けられ、吾妻の守護代となり。輝幸の嫡子中書幸貞は、矢沢薩摩守頼朝の聟に成りて真田の(妹?1文字判別困難)聟なり。
幸貞の妹二人あり。原監物、祢津右衛門尉の妻女也」
と。

その活動は羽尾記に
「天正七年■■(原書文字判読不可能)・八歳、信之・十八、幸直・十七、矢沢但馬・十八、森土佐・廿三。信之は永禄九年丙寅誕生なり。蓋し海野能登守は強弓を引き、あら馬をよく乗る。新当流の兵法をよく志し、力百人にたいし勇もうの侍なり。然れば己が勇の人にすぐれたるを以て、兄弟親族をかへりみず、古郷を去って兵法執行にいかる。尤も至る所毎々武勇名誉をあらはして、時の人の衆目を驚かす。之以上原能登守と名乗る。武田信玄源晴信、同勝頼の二代に仕へて軍功をはげまし、年七十に余り生国上州に帰る。このころ吾妻郡岩櫃城に上杉景勝より斎藤摂津守と云ふ者、城代にさしおけり。摂津守は能登守が武勇妙たるを知り、能登守を?(判別不能1文字)いて客人として振舞ふ」
と。
また隠岐守、此のむねを安房守方へ注進す。房州大に悦びぬ。沼田の城代に矢沢薩摩守頼綱を差遣はして、城地を堅固に守り、信州上田城、上州沼田城、全保給ひけり。息男信幸、信幸子信吉、二男信俊、代々城主也と。


・・・・・・なんか文脈が全然繋がってない・・・?
アレ、どっかで混じってるのかな?
羽尾記はこないだ全文を発掘したところですが、目を通せてないので合ってるかどうかがビミョー。
引っ張り出したら修正します。
修正が簡単なのが、デジタルの良いところvv

真田と羽尾と海野のどろどろ劇場は、読んでるとけっこうエグイです。
しかし真田家ってなんでこう・・・・・・ブラコンばっかりなんだろう・・・(笑)
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祢津右衛門尉

自称 祢津右衛門尉の子孫
趣味でいろいろ調べていましたら
大変楽しめましたまた楽しく読ませてください。
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真田氏と武田家臣団が好きで、資料まとめと史跡巡りをしています

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