スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戦国パラダイス

今回はとにかく画像を見て頂きましょう。

読みづらい。
そんな方のために全文を書きます。

「茶臼山歴史について!
 慶長3年、1598年8月18日、豊臣秀吉は、63才で死去!
死の直前、徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、
宇喜多秀家の五大老、現在風でいえば、大物大臣である!
さらに、五奉行に石田光成、浅野長政、増田長盛、前田玄人、長束正家
をおいた、秀吉死去により、家臣石田光成、浅野長政軍は
関ヶ原で、徳川家康と最後の戦いとなった、秀吉の長男秀頼を母淀君
が庇って戦いに出さず、豊臣家の家臣が、次々と徳川家に付き、関ヶ原
で石田光成軍が敗北した!
 そのころ、真田幸村は和歌山九度山にいた、大阪城にかけつけた時、
大阪城は徳川の手におちる寸前であった!大阪城攻防で名高い茶臼山は
冬の陣では家康の本陣となり、夏の陣では幸村の激戦地となった!
幸村は信州の田舎の住人で、父にならって、優れた戦略家であった!
夏の陣は、冬の陣のわずか4ヶ月後のことで、幸村はただちに国分道明寺に
出陣した後、大阪城最後の決戦にのぞむ!主戦と成ったのは、茶臼山から
四天王寺西門あたりで幸村軍はすさまじい勢いで家康軍に殺到
したが、全員討ち死にし大阪城本丸炎上、秀頼、淀君討ち死に
豊臣家二代にわたる栄華は、夢と消えた!!」

端から端まで全文見事なパラダイスな内容。
これ、幸村の討ち死に場所として有名な安居神社の近くにある某ラブホテルの前に建っています。
発見者は東美輝さま。なぜ神奈川人がこれを天王寺で・・・(笑)
石に彫ってあるから、いちおう石碑なのかな。

とりあえず私が気になって仕方ないのは、
石碑に「!」を使用。
「現在風でいえば、大物大臣」
「石田光成、浅野長政、増田長盛、前田玄人」
光成はよく見るけど、玄人・・・。
「信州の田舎の住人」
「秀頼、淀君討ち死に」

でしょうか。
関ヶ原で宇喜田がさりげなく無視されてたり、
関ヶ原の直後大阪陣になったかのような錯覚を起こさせる
不自然な分の切り方は、
ここまでくるとどうでもよくなってきますね・・・。

面白いのでぜひどうぞ。
ちなみに石碑が前に建つ某ラブホテルの外壁には
花菱紋が散らされており、
入口にはばかでっかい葵紋があります。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

大蛇丸

Author:大蛇丸
真田氏と武田家臣団が好きで、資料まとめと史跡巡りをしています

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR

真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)

彫銀 (ホリギン) 大判家紋ジッポ 家紋:武田菱 KW-ZI-4

戦国傘 武田信玄

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。